フェアトレードが私のLIFEWORK
20年以上、日本のフェアトレード・ファッションを牽引してきたピープル・ツリー。
活動をスタートさせたときのコンセプトや現在のブランドとしての目標まで、代表のサフィア・ミニーに聞きました。
変わらない思いと変えていく力がそこにはあります。
当時、ナミビアは南アフリカとの戦争を経て独立したばかりで、経済的に苦しい状況でした。そんなナミビアの現状を知ってもらい、支援を呼びかけたいというのが狙いでした。センスの良い手仕事の品を暮らしに取り入れることで、それらがつくられた国を身近に感じ、買い物という行為がつくり手に影響を与えることを考えるきっかけになれば……。まさに今のピープル・ツリーと同じコンセプトです。
「1週間で約100名の来場があり、こんなに関心を持ってくれる人がいるということに感動しました。同時に私が素敵だと思った手工芸品を美しいと感じる人たちがたくさんいることや、消費社会を疑問に思う自分の考えに共感してもらえるんだということも確信できました」。
「フェアトレードは第2次世界大戦後に始まった運動で、欧米では広く知られています。私も18歳のときにロンドンでフェアトレード製品に出会いました。“チャリティーではなく、対等で公正な貿易で途上国を支援する”というコンセプトに共感したことをよく覚えています。日本に住むようになってからも、まわりの人たちへプレゼントするなど、個人的にフェアトレードを広める活動をしていました。すると、日本の友人たちもフェアトレードにとても興味をもってくれて……。それなら、自分でもっと多くの人に知ってもらう場を設けようと思い、輸入することにしたんです。はじめは自分が利用していたフェアトレード製品をイギリスから輸入していましたが、すぐに日本には日本に合ったデザインの商品が必要だと感じました。カゴや椅子、エスニック調のワンピースなど、どれも大き過ぎたんです。また、実際に製品をつくっている人たちに会い、フェアトレードの現状と可能性を自分の目で確認したかったということもあります」。
こうして1993年に通信販売をはじめてすぐにオリジナル商品の開発をスタートさせます。初めて訪ねたつくり手はバングラデシュ南部の村にある手漉き紙をつくっているグループでした。
「つくり手は自分たちの技術に自信と誇りを持っていました。彼らが必要としていたのは、デザインとマーケティング。そこで、夜通しでアイデアを出し合い、ともに食べ、ともに眠り、コミュニケーションを深めていきました。お客さまがどんなデザインを好み、どんなものを欲しがっているのかを伝えていったのです。この経験を通して、お互いを家族のように思い、親身になって助け合うことで、社会はより良いものになっていくということを学びました。陳腐に聞こえるかもしれませんが、私たちは人類というひとつの家族であり、お互いを愛していることが実感できたのです」。
オリジナル商品の開発は雑貨だけでなく、ファッションにも及びました。なぜ、ファッションに挑戦しようと思ったのでしょうか?
「まず、私が着たいと思える洋服がフェアトレード製品になかったこと。そして、環境に負荷をかけず、フェアトレードで洋服をつくるには、たくさんの人の手が必要になるので、より多くの人びとに仕事の機会を増やすことができると考えました」。
たとえば、生地の原料となるコットンを栽培する農家、生地を織る人や染める人、ニットを編む人、刺繍をする人、プリント職人、仕立てをする人などが必要です。1着のドレスを製作するのに最低でも3人の人たちが関わり、それぞれが何時間も働くことで完成します。働いて得たお金は、子どもを学校に通わせたり、自分の家を建て直したりするだけでなく、飲み水を確保する工事や学校をつくるといった地域のプロジェクトにも使われるのです。
「ファストファッションは人を搾取し、環境にダメージを与えますが、フェアトレード・ファッションは働く人たちに人権という、当たり前に暮らす権利を与え、環境を守ることができます」。
インドの児童労働をする子どもたちに教育の機会を与えるための資金を集めるのです。ほかにも、バングラデシュでもオーガニックコットンを使った手織りの洋服をつくろうと計画しています。まだ、たくさんの問題をクリアしなければなりませんが、近いうちに実現できると信じています」。
ひとつひとつ夢を実現してきたサフィア。長年抱えていた思いがその原動力になっています。
「経済的に不利な人びとに良い影響を与えるために、着るもの、食べるものを選び、家族や友人のための贈りものをする……。エシカルな消費者であることは、私が20年以上前から望んでいたライフスタイルでもあります。フェアトレードは、人権と環境に敬意をはらい、今までのビジネスの方法を見直す効果があると考えています。フェアトレードを選択することで、企業や政治家たちにメッセージを伝えることができるのです。今、私たち個人が責任ある行動に移らなければ、私たちの暮らす世界はなくなってしまうでしょう。そんな危機感を共有し、ピープル・ツリーを社会企業のパイオニアとして応援してくれる人や、フェアトレードとエコロジーに貢献してくれるすべての人びとに感謝の気持ちを伝えたいです」。
活動をスタートさせたときのコンセプトや現在のブランドとしての目標まで、代表のサフィア・ミニーに聞きました。
変わらない思いと変えていく力がそこにはあります。
世界のことを考えるきっかけづくり
1991年、東京の西麻布で開催した『ナミビア展』がピープル・ツリーの原点と言われています。
「日本はバブル景気がピークに達したころで、消費することが“ かっこいい ”という風潮でした。無駄づかいばかりの世の中に違和感を覚えながら生活をしていたのですが、縁あってナミビア共和国でつくられたフェアトレードのカゴや木彫品の展示即売会を開くことにしたんです」。
当時、ナミビアは南アフリカとの戦争を経て独立したばかりで、経済的に苦しい状況でした。そんなナミビアの現状を知ってもらい、支援を呼びかけたいというのが狙いでした。センスの良い手仕事の品を暮らしに取り入れることで、それらがつくられた国を身近に感じ、買い物という行為がつくり手に影響を与えることを考えるきっかけになれば……。まさに今のピープル・ツリーと同じコンセプトです。
「1週間で約100名の来場があり、こんなに関心を持ってくれる人がいるということに感動しました。同時に私が素敵だと思った手工芸品を美しいと感じる人たちがたくさんいることや、消費社会を疑問に思う自分の考えに共感してもらえるんだということも確信できました」。
フェアトレードを本格的な仕事に
その後、都内近郊のリサイクル情報、オーガニック食品を取り扱うショップ、ベジタリアン対応の宿泊先リストなど、エコ関連の情報をまとめた小冊子の制作を経て、フェアトレード製品の輸入販売を始めます。
「フェアトレードは第2次世界大戦後に始まった運動で、欧米では広く知られています。私も18歳のときにロンドンでフェアトレード製品に出会いました。“チャリティーではなく、対等で公正な貿易で途上国を支援する”というコンセプトに共感したことをよく覚えています。日本に住むようになってからも、まわりの人たちへプレゼントするなど、個人的にフェアトレードを広める活動をしていました。すると、日本の友人たちもフェアトレードにとても興味をもってくれて……。それなら、自分でもっと多くの人に知ってもらう場を設けようと思い、輸入することにしたんです。はじめは自分が利用していたフェアトレード製品をイギリスから輸入していましたが、すぐに日本には日本に合ったデザインの商品が必要だと感じました。カゴや椅子、エスニック調のワンピースなど、どれも大き過ぎたんです。また、実際に製品をつくっている人たちに会い、フェアトレードの現状と可能性を自分の目で確認したかったということもあります」。
こうして1993年に通信販売をはじめてすぐにオリジナル商品の開発をスタートさせます。初めて訪ねたつくり手はバングラデシュ南部の村にある手漉き紙をつくっているグループでした。
「つくり手は自分たちの技術に自信と誇りを持っていました。彼らが必要としていたのは、デザインとマーケティング。そこで、夜通しでアイデアを出し合い、ともに食べ、ともに眠り、コミュニケーションを深めていきました。お客さまがどんなデザインを好み、どんなものを欲しがっているのかを伝えていったのです。この経験を通して、お互いを家族のように思い、親身になって助け合うことで、社会はより良いものになっていくということを学びました。陳腐に聞こえるかもしれませんが、私たちは人類というひとつの家族であり、お互いを愛していることが実感できたのです」。
オリジナル商品の開発は雑貨だけでなく、ファッションにも及びました。なぜ、ファッションに挑戦しようと思ったのでしょうか?
「まず、私が着たいと思える洋服がフェアトレード製品になかったこと。そして、環境に負荷をかけず、フェアトレードで洋服をつくるには、たくさんの人の手が必要になるので、より多くの人びとに仕事の機会を増やすことができると考えました」。
たとえば、生地の原料となるコットンを栽培する農家、生地を織る人や染める人、ニットを編む人、刺繍をする人、プリント職人、仕立てをする人などが必要です。1着のドレスを製作するのに最低でも3人の人たちが関わり、それぞれが何時間も働くことで完成します。働いて得たお金は、子どもを学校に通わせたり、自分の家を建て直したりするだけでなく、飲み水を確保する工事や学校をつくるといった地域のプロジェクトにも使われるのです。
「ファストファッションは人を搾取し、環境にダメージを与えますが、フェアトレード・ファッションは働く人たちに人権という、当たり前に暮らす権利を与え、環境を守ることができます」。
世界を変えるために新しいことに挑戦し続ける
長い時間をかけてつくり手たちと信頼関係を築き、製品のクオリティを上げてきたピープル・ツリー。フェアトレード・ファッションのパイオニアとしてチャレンジは続きます。「昨年はバングラデシュ、インド、ネパールのつくり手を訪ねました。私たちも新しいデザインなど、お客さまに買ってもらえるよう日々努力をしていますが、つくり手のみなさんにも新しい技術を覚えてもらえるよう働きかけています。今、インドのパートナー団体と一緒にオーガニックコットンでつくるストレッチ素材に取り組んでいるのですが、次のシーズンには日本でも新製品として紹介できることが決まりました。また、2011年から実施している『ボンボルル・ワークショップ』の車椅子キャンペーン※に加えて、『タラ・プロジェクト』の商品でもキャンペーンを始めます。
インドの児童労働をする子どもたちに教育の機会を与えるための資金を集めるのです。ほかにも、バングラデシュでもオーガニックコットンを使った手織りの洋服をつくろうと計画しています。まだ、たくさんの問題をクリアしなければなりませんが、近いうちに実現できると信じています」。
ひとつひとつ夢を実現してきたサフィア。長年抱えていた思いがその原動力になっています。
「経済的に不利な人びとに良い影響を与えるために、着るもの、食べるものを選び、家族や友人のための贈りものをする……。エシカルな消費者であることは、私が20年以上前から望んでいたライフスタイルでもあります。フェアトレードは、人権と環境に敬意をはらい、今までのビジネスの方法を見直す効果があると考えています。フェアトレードを選択することで、企業や政治家たちにメッセージを伝えることができるのです。今、私たち個人が責任ある行動に移らなければ、私たちの暮らす世界はなくなってしまうでしょう。そんな危機感を共有し、ピープル・ツリーを社会企業のパイオニアとして応援してくれる人や、フェアトレードとエコロジーに貢献してくれるすべての人びとに感謝の気持ちを伝えたいです」。