【アンバサダー通信】東北が揺れてからの信じられない40か月。僕の人生は変わった!
モデルで、ピープル・ツリー アンバサダーのディーン・ニューコムです。
僕は、主張を持って社会を変えていくような挑戦をするモデルたちが活躍できる場を創り出すための団体「Intrepid Model Adventure(IMA)」をつくり、活動をしています。
僕の同行者のアイカとハグをするアベさん(オレンジのジャケットの方) どうして東北について書くのか。
よくある記念日じゃありません。
目下のメインプロジェクトでさえありません。
でもみなさんとシェアしたいことがあります。これまで全く予想しなかったことです。
測ることはできませんが、僕が東北滞在中に贈った中で一番貴重なものだったと今つくづく思います。
野菜を届けてくれたおじさん! IMAボランティアでおなじみの顔!バイクでも、車でも野菜の入ったカゴでも玩具でも洋服でもありません。
それは友情、ハグ、つながり、愛です!
あのすごい日々から長い時間が過ぎました。
僕は東北の人たちの暮らしをほんの少し楽にしようと走り回っていました
僕が出会った素晴らしい人たちの大半はもう会うことがないでしょう、確かに。
でも一握りの人たちには、今言えるしこれからも言います。「きっとまたね!」
東北に帰るたびに、そして彼らが上京する時にも会う懐かしい顔。
僕のひどい日本語でメールをやりとりしたる電話で話をしたりする人たち。
そういう人たちに向けてこのブログを書いています。
今はもう僕から何も必要としない人たちですが、逆に僕にたくさんのことをしてくれる人たちです。
2014年3月8日、少数のボランティア集団を率いて東北に向かいました。
震災から三周年に僕たちの敬意を払うための記念の旅ですが、IMAが東北の友と呼ぶ人たちと会うため、僕たちの過去の行動をを話すため、そして今日の東北の暮らしを理解するための旅です。
どれほど僕が彼らを大事に思っているか、彼らがどう僕の人生を変えたか、情熱をこめて書くこともできますが、その代わりにナカムラミチコさんの日記を皆さんとシェアします。
彼女は初めて東北地方を訪ねたIMAのボランティアです。
IMAとの初めての社会見学。彼女の純粋な言葉は僕が決してできない話を伝えてくれます…… (僕のコメントは斜字で)
※こちらもご覧ください。
スエナガさんとディーンプラス思考のユーモラスなメッセージをつけて作った200枚のTシャツをプリントした。
東北のための資金作りに東京で販売して、ボランティアや時に地元の人たちにプレゼントした。
スエナガサトシさんのためのTシャツはたぶん一番大事なものだったろう。
一日目にIMAのTシャツを着て倉庫を片づける彼の映像はいつ見ても僕は感動する!
IMAボランティアたちは、女川でアベさんに会った。
ディーンは秘密にしていた、阿部さんの事業の新しい広告を発表したアベさんは今や僕の東北の希望のストーリーだ。60を優に超えてなおかつエネルギーと力に満ち溢れている。何もかも失い、記録的な速さで再建した。
因果は巡る、ということわざを現実にしたと言えるだろう。
彼女に会う人は皆何とか彼女を助けようと懸命になり、会う人を何とか助けようとする彼女の姿も見ている。
毎日がこれが最後の日であるかのように過ごしている。素晴らしい形で僕を受け入れてくれた。数週間毎に話した。
アベさんとディーンかつて僕が自転車と何枚かの服をあげた何も持っていなかったお年寄りの女性が、今は東京で僕に夕食をごちそうしてくれる。僕は「お母さん」と呼んでいる。
この素晴らしい女性についてもっと話を聞きたいと思っている!!
現地の家族と一緒に女川の海に献花をお祈りをしてぼくたちの旅は終わった。…
写真はすべて Akiko DuPont Yamaguchi - http://www.akikoyamaguchi.com/
僕は、主張を持って社会を変えていくような挑戦をするモデルたちが活躍できる場を創り出すための団体「Intrepid Model Adventure(IMA)」をつくり、活動をしています。
僕の同行者のアイカとハグをするアベさん(オレンジのジャケットの方) どうして東北について書くのか。
よくある記念日じゃありません。
目下のメインプロジェクトでさえありません。
でもみなさんとシェアしたいことがあります。これまで全く予想しなかったことです。
測ることはできませんが、僕が東北滞在中に贈った中で一番貴重なものだったと今つくづく思います。
野菜を届けてくれたおじさん! IMAボランティアでおなじみの顔!バイクでも、車でも野菜の入ったカゴでも玩具でも洋服でもありません。
それは友情、ハグ、つながり、愛です!
あのすごい日々から長い時間が過ぎました。
僕は東北の人たちの暮らしをほんの少し楽にしようと走り回っていました
僕が出会った素晴らしい人たちの大半はもう会うことがないでしょう、確かに。
でも一握りの人たちには、今言えるしこれからも言います。「きっとまたね!」
東北に帰るたびに、そして彼らが上京する時にも会う懐かしい顔。
僕のひどい日本語でメールをやりとりしたる電話で話をしたりする人たち。
そういう人たちに向けてこのブログを書いています。
今はもう僕から何も必要としない人たちですが、逆に僕にたくさんのことをしてくれる人たちです。
2014年3月8日、少数のボランティア集団を率いて東北に向かいました。
震災から三周年に僕たちの敬意を払うための記念の旅ですが、IMAが東北の友と呼ぶ人たちと会うため、僕たちの過去の行動をを話すため、そして今日の東北の暮らしを理解するための旅です。
どれほど僕が彼らを大事に思っているか、彼らがどう僕の人生を変えたか、情熱をこめて書くこともできますが、その代わりにナカムラミチコさんの日記を皆さんとシェアします。
彼女は初めて東北地方を訪ねたIMAのボランティアです。
IMAとの初めての社会見学。彼女の純粋な言葉は僕が決してできない話を伝えてくれます…… (僕のコメントは斜字で)
コウノさんご一家コウノさんの家族
(以下ボランティアのナカムラミチコが書いたもの)
3/8 – 宮城到着。訪問する最初の家族に会う。
ディーンと同行者のアイカは、3年前の3.11直後に彼らに会っている。
玄関(一階はほぼすべて)3.11の津波で破壊された。
IMAメンバーの何人かは家や庭の片づけを手伝った(車の撤去まで!)
幸せなことに家は再建され、今ではきれいだ!
さらにうれしいことは、家族は超元気で大歓迎してくれる!
もう彼らのパワーに圧倒されてしまった(いい意味で)!
これが旅の一日目……正直言って、かつて全壊した家を訪ねるのは心配で少し怖気づいてさえいた。
家族の一員や友人など、大事な人たちが津波で亡くなったことも私は知っている。
写真を見ながら、IMAメンバーと過ごした頃を思い出すコウノさんご一家。でも……皆さん、とても元気。
人は思ったよりずっと強いということを私に気づかせてくれた。
悲劇を乗り越えた人たちは普通の生活で想像する以上にずっと強くなれる……。
その夜そのことに気づいて、ようやくすっかり安心して翌日から何があるかと楽しみになってきた。
私の大きな突破口!!!
大きなハッピーな笑顔をありがとう、コウノさん♡
※こちらもご覧ください。
スエナガさんご一家とIMAのボランティアたち。スエナガさんの家族
(これも、ボランティアのナカムラミチコが書いたもの)
訪問した二軒目の家族は、ご主人が働いている職場を見せてくれた。
3.11に津波の大きな被害にあった大きな水産倉庫である。
今ではすっかり元通りになり、うまくいっている。
3.11直後はスエナガさんはひどく落ち込んでいた。
大切なものをたくさん失い、大きな被害を受けた会社をどうすればよいか途方にくれていた。
心の空虚さを埋めるため、毎日朝からお酒を飲んで何もすることもなく……本当に何をすればよいのかわからず、これ以上何もできないと思っていた。
津波からは生きながらえたが、もう終わったと感じていた。
でもIMAチームやディーンに会って、チームが瓦礫を片づける手伝いをしているのを見てスエナガさんは思った……「う~む、ぼくにも何かできるかもしれない」
それにIMAが贈った果物にも勇気づけられた。「これを食べて! そしたら"元気"になるよ!!」
スエナガサトシさんの工場は、再建され、操業中。不思議なことに果物効果で彼は元気に!
ひょっとしたらチームのパワーと愛情のせいかも、ね(o´u`o)
それから彼は片付けを始め、たくさんの人の助けを借りて会社を再建した。
周りの人たちと、競合相手の会社の人たちとさえうまくやっていけるようになったと言う。
以前よりずっとみんながお互い気遣いあって、今でもとてもうまくいっている!
おだやかな口ぶりだったが、3.11後に助けてくれた人たちをどれほど有り難く思っているか、
ディーンやIMAチームに再会できてどれほどうれしいか私たちにはわかった!
ありがとう♡
スエナガさんとディーンプラス思考のユーモラスなメッセージをつけて作った200枚のTシャツをプリントした。
東北のための資金作りに東京で販売して、ボランティアや時に地元の人たちにプレゼントした。
スエナガサトシさんのためのTシャツはたぶん一番大事なものだったろう。
一日目にIMAのTシャツを着て倉庫を片づける彼の映像はいつ見ても僕は感動する!
エンドウさんエンドウユウコさんとご一家
(これも、ボランティアのナカムラミチコが書いたもの)
翌日訪問した家族は、以前住んでいたところからちょうど引っ越したばかりだった(石浜、女川)。
将来の災害を避けるために土地は管理下に置かれ、住んでいた家から追い出されたも同然であった。 (峡谷の側面を押し上げて土地の高さを上げる。住宅は前回の津波の高さの上に建てる。)
お祈りをするエンドウおばあちゃん…この計画を進めている人たちは、自分たちが何をやっているかしっかりわかっていてほしいと思う。…
奥さん(エンドウユウコ)は父親を津波で失い、現在夫と母親(このかわいいおばあちゃん♡)と一緒に暮らしている。
ご親切においしいどら焼きを頂きました♡ (地元のスイーツ!)
人びとが多くの困難を克服し、今一緒に笑顔でいるところを見ることができてうれしい!
IMAボランティアたちは、女川でアベさんに会った。
アベさん
(これも、ボランティアのナカムラミチコが書いたもの)
やっと! ディーンの"東北のお母さん"に女川で会えた!
お母さんの家に泊まった!
予想通りお母さんは、たくさんの食事ときれいな暖かい部屋とお布団を用意してくれた。 言葉にできないくらい感謝の気持ちでいっぱい …>_<…
同行者のアイカと、アベさん義理の娘さんに会って、3.11の日の話を聞いた。
地震直後のことをこう話してくれた。
真夜中のように空が暗くなって突然雪が降り始めた……世界の終わりかと思った。
その夜は余震で眠れなかった。地面がぐらぐらとするたびに、家から飛び出して寒い外で待った。これは数日続いた。
もっと恐ろしい何かが起きているように感じ、2,3日の間は村で何が起きているのか調べられなかった。
道路は損壊していて歩くのは安全とは言えなかった。
しばらくは孤立状態だった。
人それぞれ様々な形で大きな被害を受けていた。
家族全員で一緒にいることは幸せだが、どうやって大きな被害やショックから立ち直り今笑っているのか不思議だ。
また思った:「人は強い……」
ディーンは秘密にしていた、阿部さんの事業の新しい広告を発表したアベさんは今や僕の東北の希望のストーリーだ。60を優に超えてなおかつエネルギーと力に満ち溢れている。何もかも失い、記録的な速さで再建した。
因果は巡る、ということわざを現実にしたと言えるだろう。
彼女に会う人は皆何とか彼女を助けようと懸命になり、会う人を何とか助けようとする彼女の姿も見ている。
毎日がこれが最後の日であるかのように過ごしている。素晴らしい形で僕を受け入れてくれた。数週間毎に話した。
アベさんとディーンかつて僕が自転車と何枚かの服をあげた何も持っていなかったお年寄りの女性が、今は東京で僕に夕食をごちそうしてくれる。僕は「お母さん」と呼んでいる。
この素晴らしい女性についてもっと話を聞きたいと思っている!!
現地の家族と一緒に女川の海に献花をお祈りをしてぼくたちの旅は終わった。…
写真はすべて Akiko DuPont Yamaguchi - http://www.akikoyamaguchi.com/