コンテンツへスキップ

記事: 震災後、これからの生き方

ニュース

震災後、これからの生き方

「震災は“2万人が亡くなったひとつの事件”ではなく、
“ひとりが亡くなった事件が2万件あった”」と話したタレントの北野武さん。
震災直後のこの言葉にとても衝撃を受けたと、
ピープル・ツリーの元スタッフ・村井香月さんは当時のことを振り返ります。



先週土曜日に「Pecha Kucha CAFÉ」で
「これまでの南三陸、そしてこれから」を話してもらいましたので、
企画のフミがレポートします。



20150311_02村井さんは震災後すぐ現地に入り、
汚泥撤去のボランティアなどをしていましたが、
もっと自分らしく継続的にできることがあるのではないかと考え、
ピープル・ツリーを退職。
そして、その年の9月から
「南三陸復興ダコの会」の工房スタッフとして、
企画営業や広報活動に携わることに……。



「南三陸復興ダコの会」(http://ms-octopus.jp/index.html)とは、 地元の地域振興事業が十分でない状況の中、 自分たちの力で復興への一歩を踏み出そうと立ちあがった 南三陸町の有志が結成した組織。「南三陸復興ダコの会」とは、地元の地域振興事業が十分でない状況の中、自分たちの力で復興への一歩を踏み出そうと立ちあがった
南三陸町の有志が結成した組織。



ピープル・ツリーのスタッフの
約半数以上が自分の休暇を使って東北に足を運び、
自分たちができることをそれぞれで考え続けていますが、
彼女はいちばん早くに東北に移住した人。



私も南三陸に足を運んでいますが、
頭でっかちにいろいろと考えた末に、
いまだに何もコトを前に進められず、情けない状態を続けています。



そんな中、着実に前に進むコトを実現し続けているのが村井香月さん。



どうしたら南三陸が楽しく元気になるのか?
現地に入り、“ともに暮らす”ことの意味を考えた結果は、
南三陸のフェアトレードでした。



供給しやすい地元ならではの原料や昔ながらの伝統技法を用いながら、
働く場所と機会をつくろうと決めた地元の人びと。
そんな彼らと一緒に、
村井さんはどうやったらより魅力的に伝わるかと、
買い手とつくり手をつなげるための活動をしています。



つくる人たちの声をていねいに聴き、
必要に応じて問題の解決策を模索し、
受け取る人たちに震災のリアルを含めて伝え、
相互の理解を深める努力をすること。



どれだけ「つくる人たちに寄り添えるか」がフェアトレードのカギだと
常々思っているのですが、
村井さんは、それをひとつひとつていねいに実践しています。



1年後、東京に戻り、
今はフロンティアジャパン株式会社で働いていますが、
実はこれにも理由がありました。
この会社は、
大量消費、大量生産の「ノベルティ業界をよりエシカルに!」をモットーに
販促品の製作を行っているエシカル企業。
グッズの材料に南三陸の間伐材を使用し、
南三陸で加工・セットをしているのです。



「ビジネスにすることでより大きく、そして長く」を
彼女は目指しています。



そんな村井さんは、
昨年一般人にも関わらず、南三陸町復興応援大使に任命されました。



旧ピープル・ツリー仲間とのひさびさの再会♪旧ピープル・ツリー仲間とのひさびさの再会♪



最近の私のまわりには、
ひょうひょうと変革を生むひとたちがあふれています。



彼らに共通するのは等身大で背伸びをしない。
くったくなく笑い、いつも笑顔で前向き。
そして、息を切らさずに着実に前に進む。



そして、もっともすばらしいと思うのは彼らのスタンス。
それは決して自分が主役なのではなく
「みんなが主役」、と常にまわりの人びとに想いを寄せていること。



今日から5年目が始まります。
それぞれが等身大で持続できることについて考えてみませんか。



その小さな変化の波紋が重なり合い、
伝播しながら大きな波紋へと変貌してゆく。
それは私たちが目指している“グローバル・ヴィレッジ”のように、
遠くにいる人も近くに感じられるような、
ともに暮らすひとつの村として、
“仲間たち”が集うことにつながるのだと思います。

その他の記事