幼いころから養護施設に物資を寄付するお母さまを見て育った金子さん。今は育休中ですが出産前までピープルツリーの洋服のパタンナーとして勤務していました。
「一般アパレルメーカーでパタンナーとして働いていたとき、モノの流れ方のペースに疲れてしまったのです。まるで自分が機械のように感じられてしまって。そこで前々から気になっていた青年海外協力隊に応募しました」。
青年海外協力隊は2回目のチャレンジで希望地への合格。でも金子さんは時期を同じくして募集があったピープルツリーの自由が丘店のショップスタッフとして働き始めます。
「ピープルツリーのことを教えてくれた兄が、同じくフェアトレードの老舗『第三世界ショップ』でボランティアをしていたこともありましたし、洋服が好きという気持ちも捨て切れなかったのでしょうね。最初は販売員として働き、パタンナーの募集があったときに第一次選考、第二次選考をくぐりぬけ、25歳のときにめでたくピープルツリーのパタンナーになりました」。
美しいシルエットのエンパイアラインは生産者さんと金子さんの努力の結晶。
現地のつくり手とパターンを一緒に補正していきました。
ところが金子さんが喜んだものもつかの間。ピープルツリーとしては初めての自社内パタンナーだったため、取り組まなければならないことが山積みだったそう。
「現地の生産者さんのところに出張に行って衝撃を受けました。定規は目盛りが擦り切れていて数字が読めない状態、ペンもインクが熱で抜けてしまっているし、型紙は湿気でヨレヨレ。生産者さんたちが置かれている環境、現実。いろいろなことがカルチャーショックでした」。
それでもめげずに、限られた出張期間内で金子さんは何度も何度も現地の生産者たちと膝を突き合わせ、とことん議論し、技術を丁寧に伝えていったといいます。
「つくり手の顔が見えているので、不良品をつき返すのがとてもつらかったです。でも問題点をひとつひとつフィードバックし、お互いに切磋琢磨し、向上心を持ち続けて……を繰り返して、何年もかけてクオリティがあがるのが実感できました。そして、それを確認できたこともあり、ウエディングドレスがつくれるまでになったのです」。
多くの生産者たちとたくさんの議論を交わし、ときに白熱することも。
デコルテの開きも胸の刺繍も花嫁を美しく引き立てます。
学生時代からのパートナーとは10年の交際を経て、結婚。
「アメリカ留学をした経験のある彼は、フェアトレードのことも知っていて、私がピープルツリーで働いていることをずっとずっと応援してくれていました。そして現地の生産者さんたちの技術が向上して、ピープルツリーで初めてウエディングドレスをつくっているとき、私は自分の結婚のことも考え始めるようになりました」。
二の腕の太さを気にする人が多いこと、欧米人とは異なる体形……それらを踏まえて、日本人女性が晴れの日にいちばん美しく見えるシルエットを金子さんは実現しました。
「肩の細かな縫い方に悩んでいたら、これまで技術提供をしていた現地の
テーラー※さんが『こういうふうにしたらうまくできるよ』と、逆に教えてくれました。ピープルツリーのウエディングドレスは、人の手が繋がって、人の手によって生まれたもの。自分がハッピーなときに地球のどこかで誰かもハッピーになっている。結婚式に着るドレスとして、本当にふさわしいものになっていると思っています」。
テーラー
洋服を仕立てる職業。型紙を起こしたり、裁断、縫製などを総合的に行う人。